起業・設立期
1958 昭和33年
セイビの動き
-
株式会社セイビ設立。
(東京都中央区日本橋兜町2-28 小布施証券内)
社長 小布施志郎。資本金 50万円。
当初4物件(住友銀行大手町ビル、大和證券本社ビル、住友不動産本社ビル、昭和電工本社ビル)にてスタート。
社会の動き
- 岩戸景気
- フラフープ流行
- 東京タワー完成
1960 昭和35年
セイビの動き
- 横浜銀行ビルの受託に伴い横浜銀行に横浜事務所を開設(現在の横浜支店)。
社会の動き
- ダッコちゃんブーム
1961 昭和36年
セイビの動き
- 東京ビルメンテナンス懇話会を当社含め28社で発足。
社会の動き
- ガガーリンが人類初の宇宙飛行
1962 昭和37年
セイビの動き
- 名古屋出張所を開設(現在の名古屋支店)。東邦ガス本社ビル受託でスタート。
- 社団法人東京ビルメンテナンス協会設立および加入。
社会の動き
- ビートルズデビュー
1963 昭和38年
セイビの動き
- 大阪地区の業務拡張を図るために大阪営業所を開設。
社会の動き
- 「鉄腕アトム」放送開始
1964 昭和39年
セイビの動き
- 東京オリンピック選手村を東京ビルメンテナンス協会として共同受託。当社も各職場から選抜し選手村の清掃を実施。
社会の動き
- 東海道新幹線開通
- 東京オリンピック開催
1966 昭和41年
セイビの動き
- 埼玉地区の業務拡大に伴い川口出張所を開設。
- 社団法人全国ビルメンテナンス協会に加入。
- 京阪神地区の業務拡大により大阪営業所を分離独立し株式会社セイビ大阪を設立。
社会の動き
- ビートルズ来日
1968 昭和43年
セイビの動き
- 創立10周年記念行事「第1回永年勤続表彰」を行なった。
社会の動き
- 霞が関ビル完成
1972 昭和47年
セイビの動き
- 北海道地区の業務拡張を目的に札幌営業所を開設。
社会の動き
- 札幌オリンピック開催
1973 昭和48年
セイビの動き
- 社長小布施志郎が社団法人東京ビルメンテナンス協会会長に就任(第5代目会長)。
社会の動き
- 石油ショックにより物価が急上昇
1974 昭和49年
セイビの動き
- 函館地区の業務拡張を目的に函館出張所を開設。
社会の動き
- セブンイレブンが開店
1975 昭和50年
セイビの動き
- 株式会社セイビ大阪の福岡出張所を分離独立し、株式会社全九州セイビ(後の株式会社セイビ九州)を設立。
社会の動き
- ベトナム戦争終結
1976 昭和51年
セイビの動き
- 念願の自社ビルを東京都中央区日本橋茅場町に完成。
社会の動き
- 五つ子誕生
1977 昭和52年
セイビの動き
- 株式会社全九州ビルセイビを株式会社セイビ九州に社名変更。
社会の動き
- 王貞治選手、ホームラン通算756号の世界記録達成
1978 昭和53年
セイビの動き
- 創立20周年記念行事開催。
- 社内報「セイビ本社ニュース」(後のセイビニュース)創刊。
社会の動き
- 成田空港が開港
1980 昭和55年
セイビの動き
- 創立者代表取締役社長小布施志郎逝去。
社会の動き
- 日本車、生産台数で世界一
創業の志高く。時代を切り開く株式会社セイビの誕生。
株式会社セイビの設立は、1958年4月1日。
創業者の小布施志郎が、終戦直後に進駐軍が行なっていたアメリカ式の清掃管理方法に着目し、ビジネスへの確信と持ち前の起業家精神を発揮しビル清掃事業に乗り出しました。
当時の清掃は「掃き・拭き・取る」の原始的な作業が主流で、社会的評価は低いままでした。しかし、今日飛躍し続けるビルメンテナンス事業は、清掃業務を出発点にしています。つまり、半世紀に及ぶ当社の発展は、小布施志郎の先見の明によるものでした。
当時は小布施志郎もライトバンに乗って現場に向かい、自らモップを持って夜間清掃に従事しました。創業者自らが現場に出向き従業員と交わる「家庭的な現場づくり」の精神は、社是の「和」として現在も受け継がれています。
創造の時代に踏み出す。積極経営で業務拡大を目指す。
高度経済成長が加速し、ビルの建設ラッシュが進むと、同業の清掃業者の参入も相次ぎました。競争が激化するなかで、当社は経営基盤の安定と資本の充実を図るために、1959年に50万円を増資し、翌年には資本金を200万円にし、順調に事業を拡大していきました。
更に1962年には愛知県内での業務受託に成功し、名古屋出張所を開設しました。1963年には本社機能を横浜銀行東京支店ビルに移転するとともに、関西圏での業務拡張のために大阪営業所を開設しました。
東京オリンピックが開催された1964年には、資本金を2000万円に増資。オリンピック選手村の清掃業務を「東京ビルメンテナンス協会」と共同受託しました。その後、小布施志郎は「東京ビルメンテナンス協会」の運営に積極的に参加し、1973年からの2年間、第5代会長として業界の発展に貢献しました。
飛躍の時代の到来。総合管理システムの確立へ。
東京オリンピック以降も万国博覧会の開催などがあり、国内景気は上昇しました。
ビルメンテナンス業界では、霞が関ビルをはじめとした高層ビルが次々と建設され、マーケットが急速に拡大しました。大型ビルの出現は清掃技術を飛躍的に高めました。水性ワックスから樹脂ワックスへの切り替え、窓ガラス清掃用のゴンドラなど、作業方法にも新たな技術が導入され、環境衛生への配慮も要求されるようになったのです。
このような業界の大きな変化のなかで、小布施志郎は清掃事業に加え、設備の保守・管理、警備事業など総合管理システムの構築に乗りだしました。清掃業務においては「立体管理方式」を開発し、当社の強力なセールスポイントとなりました。そして1966年に大阪営業所を分離独立させて、株式会社セイビ大阪を設立しました。
創立10周年となった1968年には資本金を2500万円に増資し、記念行事として「第1回永年勤続表彰」を行ないました。翌年からマンション管理業務への本格参入を果たし、1970年には横浜営業所を開設、年商10億円を達成するまでに成長しました。
激動の航海。「和」の結束で苦難を乗り越える。
1971年、当社は本社機能を拡充するために分室を設け、翌年には札幌営業所を開設するに至り、年商は20億円に達しました。
しかし、1973年に起きたオイルショックが日本経済に大打撃を与えました。「高度成長」から、「低成長」「省エネ」の時代に突入することになり、景気は大きく減速しました。不況の波はビルメンテナンス業界にも及び、過当競争によるダンピングが横行して新規の受注物件も伸び悩みました。当社も下方決算を余儀なくされましたが、社是の「和」を基本に結束を固め、この難局に対処しました。
しかし、不幸な出来事が起きます。創業時から小布施志郎社長を支えた、弟の小布施六郎副社長が1974年9月17日に逝去しました。経営陣や従業員の悲しみは非常に深いものでしたが、全社一丸となって悲しみを乗り越え、翌年には年商50億円を達成しました。
そして、1976年には念願の本社ビルを東京都中央区日本橋茅場町に完成させました。
偉大なる創業者の逝去。近代経営の礎を築く。
1970年代後半になると、都市構造が大きく変化しました。高層ビルはより複合的・多目的になり、全館カーペット床の清掃受託が相次ぎ、カーペットメンテナンス業務が本格化しました。
当社では、本社ビルの完成を機に、小布施志郎が内部組織と管理部門の強化・充実を図るために本社機構改革を断行しました。オフィスコンピューターを導入する一方、従業員の教育指導、人間関係の改善、本社と現場のコミュニケーションを図るツールとして社内報「セイビニュース」を発刊しました。
1978年には創立20周年を迎え、記念式典、祝賀会、永年勤続者・優良従業員表彰を盛大に行ないました。資本金も3000万円に増資し、順調に受託件数を増やしました。
しかし、業績が順調に伸びるなか、1980年12月27日に創業者の小布施志郎社長が逝去しました。当社にとって、大きな柱を失ったことは、まさに痛恨の出来事でした。
新経営陣のもと近代経営を目指し、今井次男が代表取締役社長に就任しました。
成長期
1981 昭和56年
セイビの動き
- 株式会社セイビ東海を設立。
社会の動き
- ピンク・レディーが解散
1982 昭和57年
セイビの動き
- 東戸塚再開発によるニューシティ東戸塚マンション群の受託に伴い東戸塚開発室を開設。
社会の動き
- 東北新幹線開業
1983 昭和58年
セイビの動き
- 札幌営業所を分離独立し株式会社セイビ札幌を設立。
社会の動き
- 東京ディズニーランドがオープン
1985 昭和60年
セイビの動き
- 本社住宅部内に一級建築士事務所を開設。
社会の動き
- 男女雇用機会均等法が成立
1986 昭和61年
セイビの動き
- 年商100億円を達成。
- 函館出張所を分離独立し株式会社セイビ函館を設立。
社会の動き
- 上野動物園のジャイアントパンダ、トントン誕生
1987 昭和62年
セイビの動き
- 埼玉地区の業務拡大により川口営業所を川口支店に昇格。
社会の動き
- 国鉄が分割・民営化、JRグループが発足
1988 昭和63年
セイビの動き
- 創立30周年記念誌「セイビ30年の歩み」発行。
- 創立30周年記念祝賀会開催。
社会の動き
- 瀬戸大橋が開通
1991 平成3年
セイビの動き
- 台湾に進出し台湾三清渼を設立。
社会の動き
- 東京都庁が新宿に移転し、新東京都庁舎開庁
1993 平成5年
セイビの動き
- 清掃ユニフォームリニューアル
社会の動き
- 皇太子・雅子さま御結婚
1998 平成10年
セイビの動き
- 創立40周年記念祝賀会開催。
- 「セイビニュース40周年記念号」発行。
社会の動き
- 冬季長野オリンピック開催
1999 平成11年
セイビの動き
- 仙台地区の業務拡張を図るため仙台営業所を開設。
社会の動き
- 携帯電話・PHSの電話番号11桁化
2000 平成12年
セイビの動き
- 資本の充実を図るため資本金を6,000万円とした。
社会の動き
- 都営地下鉄大江戸線が全線開通
2003 平成15年
セイビの動き
- ISO9001登録。
社会の動き
- 六本木ヒルズがオープン
新たな繁栄を求めて。機構改革で年商100億円を達成。
情報化社会の到来といえる1980年代。インテリジェントビル化が急速に進み、ビルメンテナンス事業は大きな変革を求められました。ビルやマンションの管理体制を強化するために、当社では独自の遠方監視システムによる集中監視システムを開発しました。高度な管理技術で、ビルや居住環境にどう対処していくかが問われる時代になっていました。
当社では、1983年に株式会社セイビ札幌、1986年に株式会社セイビ函館を設立したことを契機に、地方の組織と営業力を強化するために独立採算制を導入しました。また、本社機構に経営企画部を設けるとともに、各部に権限を委譲することで責任の明確化と、組織の活性化を図りました。こうした機構改革で、1986年には年商100億円を達成するに至りました。
1980年代後半のバブル景気に突入すると、カーペットの高級化が進み、当社で研究を重ね独自の管理方法を開発しました。また、ビルやマンションのセキュリティー、エネルギー管理、ビル機能全てを網羅する総合管理システムを構築しました。
1987年には田中常司が代表取締役社長に就任し、翌年に創立30周年を迎えました。
プロフェッショナルな知識集約型企業に変革。
バブル経済が崩壊した1990年代においても、日本経済は閉塞状態から抜けきれずに、不況拡大の様相を呈していました。当時、ビルの賃料は下降傾向にあり、地方自治体では税収不足から採算を度外視した入札が横行していました。したがって、企業間競争は熾烈を極め、顧客による「評価基準」によってビルメンテナンス会社のランク付けも行なわれ、管理会社の総合マネジメント力が最重要課題となったのです。
当社でも危機意識を高めて生産性向上と効率化に全力を注ぎました。加えて、高付加価値、品質管理、顧客対話、低コスト、スピードアップなどのサービス向上にも努めました。ビジネスの手法も「問題解決型」から「課題解決型」に変えることで、顧客の要求に的確に応える「立体的」管理を追求しました。
2000年のキーワードは「品質から美質へ」。「超える」「極める」として、よりプロフェッショナルな手腕に磨きをかける年としました。また、IT化やグローバル化に対応するために、当社ではBTM(ビル・トータル・マネジメント)システムを情報化戦略の最前線と位置づけ、21世紀に向けた知識集約型企業としての一歩を踏み出しました。
LAN導入、HP開設。成長へのインフラ整備が完了。
21世紀に入り、日本社会はIT革命によって様々な分野で多様性が求められる時代になりました。ビルメンテナンス業界も例外ではなく、不動産の証券化に対し、いかに対応するかという新たな課題が突きつけられました。不動産の証券市場が活発になるにつれ、従来型のビジネス手法ではなく、より高度な技術・豊かなマネジメントセンスが要求されるようになったのです。そのため、ビルの運営管理を一手に引き受ける「プロパティ・マネジメント」への取り組みが不可欠となり、また、当社が長年にわたって蓄積してきたデータを、顧客に的確に情報発信することが求められました。21世紀初頭は、「経験」と「研究開発力」が問われる年となったのです。
2002年には、社員一人ひとりの企画提案力を向上させるために、新たな人材育成も急務となりました。そして、本社と支店のパソコンをつなぐLANを本稼働させたことで、提案営業に欠かせないBTM(ビル・トータル・マネジメント)システムをバックアップする体制が整いました。同時に、ホームページも立ち上げ、組織がフラット化され、今日における成長へのインフラ整備となりました。
「2003年問題」の激震。差別化とブランド戦略で挑む。
2003年は、ビルメンテナンス業界にとって厳しい年となりました。3年間にわたって続いた建設ラッシュによって、ビルの供給が過剰となる「2003年問題」に直面したのです。既存のビルの空室が増えれば、当社にも深刻な影響が出ると予想されました。したがって、テナント離れを防ぐため、培ったノウハウや技術をいかに企画提案に結びつけていくかが重要な営業戦略となりました。すでに業界の状況は、契約単価の引き下げと、ビルメンテナンス企業の倒産が増えつつありました。当社も減収減益の傾向が続いており、危機感を持って業績回復に臨まなければなりませんでした。こうした困難な時代を乗り切るために、「当社の『売り』とは何か」という価値づくりへの挑戦がはじまったのです。セイビグループの総合力を結集し、「我々の成功体験を作ろうじゃないか」と闘争精神を前面に押し出しました。
2004年には、顧客価値づくりとしての「売り」を具現化するために「サービスブランド」を立ち上げることがテーマとなりました。「サービスブランド」は当社の独自性をいかに創りあげるかが勝負となります。まさに2004年は、他社の追随を許さない「満足共感企業」を目指す年となったのです。また、競争力を追求することで、「商品の差別化」「価値の差別化」「サービスの差別化」「ブランドの差別化」を図ることが可能になり、当社の優位性を高める礎になりました。
飛躍・拡大期
2005 平成17年
セイビの動き
- さいたま市の業務拡張を図るために埼玉営業所を開設。
- 島田四郎が代表取締役社長に就任。
社会の動き
- 愛知県で「愛・地球博」が開幕
2007 平成19年
セイビの動き
- プロパティ・マネジメント業務の拡大に対応するためプロパティ・マネジメント事業部を新設。
社会の動き
- 東京ミッドタウンが開業
2008 平成20年
セイビの動き
- 創立50周年記念事業の一つとして和文・英文の社名ロゴ作成。
- 東京都中央区日本橋人形町に新本社屋建設着工(平成21年4月竣工)。
- 株式会社セイビ・プロパティ・マネジメントを設立。
- ホテル業務強化のため株式会社セイビ・ホテルサービスを設立。
- 創立50周年記念誌「セイビ50年史」発行。
- 清掃ユニフォームリニューアル。
社会の動き
- 北京オリンピック・北京パラリンピック開催
2009 平成21年
セイビの動き
- 本社「セイビ人形町ビル」を新築・移転。
(東京都中央区日本橋人形町3-3-3) - 株式会社スリーグッドコーポレーションに資本参加し業務提携。
社会の動き
- 裁判員制度による初の裁判が始まる
2011 平成23年
セイビの動き
- 株式会社セイビ・コミュニティを設立。
- 株式会社セイビ埼玉を設立。
社会の動き
- 東日本大震災発生
2013 平成25年
セイビの動き
- 株式会社エス・ジェイ・プロパティー・マネージメントを子会社化。
- セイビ人形町ビル別館新築。
(東京都中央区日本橋人形町3-2-3)
社会の動き
- テレビ放送における東京スカイツリーからの本放送開始
2016 平成28年
セイビの動き
- ERPシステムを導入。
- 株式会社セイビ・クリーンサービスを設立。
- 島田代表取締役社長が代表取締役会長へ就任。
- 関口取締役兼副社長執行役員が代表取締役社長へ就任。
社会の動き
- 18歳選挙権施行
2018 平成30年
セイビの動き
- 創業60周年。
- 「セイビニュース60周年記念号」発行。
- オリーブ美家工業株式会社を子会社化。
社会の動き
- マイナンバー制度の利用が開始
2020 令和2年
セイビの動き
- 株式会社セイビホールディングスを設立。
- 株式会社エス・ジェイ・プロパティー・マネージメントを株式会社セイビ・プロパティ・マネジメントに改称。
- 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の選手村清掃業務受託に向け、全国ビルメンテナンス協会より「積算作成支援委員」を受け業務受託に向け、積算し受託に至る。
社会の動き
- 新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大する
2023 令和5年
セイビの動き
- 関口代表取締役社長が代表取締役会長へ就任。
- 薬師寺取締役兼専務執行役員が代表取締役社長へ就任。
社会の動き
- WBCで日本代表が3大会ぶり3度目の優勝
「不動産の証券化」。機動力に富んだ「機構改革」で臨む。
当社は2005年、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)事業の受注に乗りだしました。PFI事業とは、公共施設などの建設、運営、維持管理を、民間の資金や経営能力を活用することでコストダウンやサービス向上を図る手法です。
2005年末には、島田四郎が代表取締役社長に就任しました。島田社長は2006年の施策として、①売上げの拡大、②原価の低減、③人事制度改革をあげ、社長自らが行動するトップセールスに取り組みました。当時、ビルメンテナンス業界では不動産の証券化が進み、ビルが投資の対象となっていました。顧客の要望や、市場の多様化に迅速に対応するために、本社の組織を二本部制から三本部制(管理本部、営業本部、業務統轄本部)に移行しました。この組織変更(機構改革)は、50周年に向けての一大改革となりました。
お客様に支えられて半世紀。「50年!新たなるスタート」。
団塊の世代の大量退職がはじまった2007年。当社のようなサービス業にとって、人的資本は最大の武器であり、「2007年問題」は重く圧し掛かろうとしていました。高度成長を支えた人的パワーが第一線から退く影響は大きく、これまで以上に顧客との関係を強化しなければなりませんでした。厳しい環境のなかで、2007年の基本方針には①持続的な売上げ拡大、②人事改革による収益拡大・体質強化、③コンプライアンス(法令遵守)重視の企業風土改革を掲げました。また、新規顧客獲得に向けての人材投入も大胆に行なったことで、大型物件の受託に成功し、売上げの減少に歯止めをかけました。
2008年は、創業50周年という輝かしい年になりました。キャッチコピーは「50年!新たなるスタート」。基本方針には「売上げ100億円復活」を加え、大型物件の受託や、「プロパティ・マネジメント」業務による増収など収益確保への挑戦がはじまりました。ビルメンテナンス業界内では企業の淘汰が進み、依然として価格下落と、人員不足が深刻化していました。創業半世紀となる節目の年は、「売上げ100億円の達成は業界におけるステータスである」を胸に刻み、「和」の精神を持って全社一丸となって前進することが求められたのです。
65年を超えて、これまでもこれからも「和」と「心」を大切に。
2009年に本社新社屋「セイビ人形町ビル」が完成しました。
建設の際、建設予定地で幕末のものと見られる機構、江戸中期のはしやかんざしなどの遺跡が発見されました。これを受け、工事着工までの間に中央教育委員会の発掘調査が行われ、当社は全面的に協力しました。
2018年には60周年を記念し、セイビニュース創立60周年記念号の発刊、60周年記念動画の作成など、思い出を振り返りながら社内の結束を高めるとともに、お客様との更なる関係強化を目指しました。
2020年には株式会社セイビホールディングスを設立し、グループとしての結束をより高められる体制を整えました。